小説 多田先生反省記
15.契り
中川との勉強会には九州大学の松浦教授も加わるようになっていた。松浦はなぜか学修院への思い入れが強く、私にも何かと目を掛けてくれている。お酒の方は全くの下戸なのだが、勉強会が終わってからの一献には必ず付き合う。今日は中川の都合が悪く、松浦と私は六本松の校舎へと西鉄電車で赴いた。研究室では笹栗が待っている。
「終わったか?よし、飲みに行こう」
大学の近くにある居酒屋に出掛けた。
「松浦さん、どう?多田はちゃんと勉強してる?」
「いやあ、俺はさ、ああした語学の文献なんてこれまで読んだことないからな。中川君からもエライ絞られて、脂汗が出る思いをさせられているよ。多田君も大変だな、先生になっても昔の恩師にしごかれてよ」
松浦はドイツ文学が専門なので私たちの語学関連の読み合わせには私と同じくらい四苦八苦していたようだ。
「あいつはね、昔からああいうタイプだったんだ。でも、多田、お前一人じゃ可哀想だから松浦さんに加わってもらっているんだぞ。中川のエネルギーが少しは松浦さんにいってるんだからな。感謝しろよ」
私はどう受け応えしてよいものやら返答に窮した。
「クリさんよ、そう多田君を苛めなさんな。酒がまずくなるよな、多田君!」松浦は笹栗をクリさんと呼んでいる。
「ところで、クリさん、聞いとるか?二つあるんだぜ」
「二つ?何を?」
「多田君がな…、結婚することになったんだってよ」
「えっ?お前、結婚すんのかよ、もう。早いな。幾つになったんだ?」
「25になったばかりです」
「それにしても早いね。25歳で結婚か?」
既に中川には報告していたのだが、改めて篠栗にも見合いをしたことや、康子が博多まで来たことなど洗いざらい吐露した。話が弾み、それなら非常勤の口を探してやろうということになって、松浦から履歴書を書いて持ってくるように云われた。
「それとな、もう一つ。古賀さんが琉球大学に転任するんだってよ」
「えっ?古賀さんが?あの人、平尾さんが呼び寄せて、まだ何年も経ってないよな。いつ決まったんだ?」笹栗は私の方に顔を向けた。
「僕にはよく判らないですけど、つい、最近らしいんです。平尾先生も困っておられました」
「そりゃ、そうだろうな。直ぐに後任っていうわけにもいかないだろうし。非常勤がいるな」
城南学院の人事だというのに、笹栗と松浦は古賀が抜けた後のドイツ語の非常勤の手当てについて話し始めた。九大の他の教員も虎視眈々と城南の非常勤を狙っているとのことで、まずは二人して一コマずつ分担し、残りの枠については博多大学の国分教授に非常勤をお願いしようと勝手に決めてしまった。
翌日になって下宿で履歴書を書いていると玄関が開く音が聞こえた。
「お邪魔しまーす。先生、おらっしゃぁとですか?」大野だった。「先生、お久しぶりです」
「やあ、本当に久しぶりだね。元気にしてたか?」
「神崎はおらんとですね」
「とっくに帰ってるさ」
「僕、九大、やっぱり落ちました」
「そうだったか。残念だな」
「いや、今年はこれでヨカです。これから一年しっかり勉強しますよって」
「そうか。ご両親は何か云ってるか?」
「いや、僕の事はそげん気にかけとらんですもん。4月から家で塾ば開こぉ思ぉとります。親に面倒かけんよう」
「家でって、団地だろ。教室はどうするんだ?」
「僕んとこはですね、向かいあって二つ借りとぉとです。僕ら息子どもは101でお袋と親父は102におります」
「そんな事もできるのか。俺ね、公団住宅申し込んだんだよ。まさか下宿で新婚生活っていうわけにもいかないんでさ」
「そうですか。僕が暫くきよらんうちに進んでおりますな」
「うん、そいでね、当選したんよ。それも原団地に」
「そげんですね。そしたら僕の家とはお隣さんですね」
「そうなんよ、3部屋とキッチンなんだけどさ。断ったら二度と入居できないんだっ
「いつ、お引越しなさいますか?」
「4月に入ってからだな。来週、東京に行ってくる。仙台に行ってそして正式に康子の親に結婚を申し込んでくることにしたんだ」
「そうですか。結婚なされますか。それにしても3回でしたっけ、先生が康子さんと会われたのは?」
「実はね、この間、博多に康子が来たんだ」
私は事細かく康子と過ごした72時間を物語って聞かせた。ずっと聞いて欲しくてうずうずとしていたのだった。大野こそいい迷惑である。
「そういえば、そこにLPのレコードがありますね」
「そうなんよ。これにあの『卒業』の映画で流れた『サウンド・オブ・サイレンス』が入ってるんよ。プレゼントしてもらったんだ、ウッシッシ」
涎が垂れ落ちそうだった。
「でも、先生、レコードあっても聞かれんでしょうが。どげんしよるとですか?」
「飾ってるのよ」
「そげんもんですかね?ところで、先生、履歴書ば書いとらっしゃぁたとですか?」
「そうなんよ。結婚するってことになったら、そんなら非常勤を紹介してやるって云われてね」
「九大ですか?」
「うん。でもね、六本松じゃなくて付属の医療短大の看護学部だって」
「そげんですな。そしたら一週間を三日で暮らすいい男、というわけにはいかんですね。それに看護学部やったら女の子ばっかりとちゃいまっか?」
「そうらしいんだよ。それにね、階段教室になっているんだって」松浦が教室の形状について事細かに説明してくれていた。
「先生、何か善からぬ事ば考えようでしょ」
「分かるか?」
「そりゃ、もう!でも、いかんですよ、これから結婚さっしゃぁ人がそげんこつ考えよっては」大野に窘(たしな)められてしまった。
私はその翌週に東京を経由して塩釜まで出かけた。康子に請われるままに私はレコードを大切に抱えていた。
「博君、よく決心したね。僕は仕事があるんで、明日、お袋に一緒に行って貰うことにしているから」
「はい、有難うございます。これもひとえに淳二さんのお蔭です」
「いや、僕は何も。ただお二人のきっかけをつくっただけだから。お仲人はね、僕もいづれ秋には結婚はするけど、まだ独り身だし、博君の方で然るべき人にお願いしたらいいよ」
私は叔母に連れられて康子の家に出向いた。町の中心地の角地に3階建てのビルが建っている。2階が住まいとなっているようだ。私達は三角の形になっている大きな居間に通された。南に面した窓から市電が行き来するのが見える。往来の騒音やら信号が奏でる「とおりゃんせ」の音楽とピヨピヨという小鳥のさえずりを模した音が入れ替わりながら引っ切り無しに聞こえてくる。康子がお茶を運んできた。なるほど実に旨い。
「博さんにはどうも遠い所をお出でいただきまして。それにこの間は康子が福岡まで押しかけて行きましてね、随分ご散財おかけしてしまったようで。財布すっからかんになって、赤ちょうちんにも行けないでいたんじゃないかって、康子と心配してたんですよ」
「いえ、あんな遠いところまで来てもらって、こちらこそ恐縮です」
「康子ときたら図々しいからね。押しかけて行って沢山ご馳走になったらしくて。福岡も美味しいものが沢山あるんですってね」
「そうみたいですよ。私はまだ一度も福岡には行ったことはないんですけどね。博さんからいろいろ聞かせてもらっています。あ、そうでした。この間はお勘定をそちらささんに出してもらってしまいまして、申し訳ございませんでした」
「いえ、酒井さん。当たり前ですよ。お気になさらないでください」
「あの、鯉のお料理、頂戴していったでしょ。息子たちも大喜びでいただきましてね・・・」
私は所在無くお茶を飲むしかなかった。そのうちに忠明が3階の事務所から降りてきた。
「やあ、いらっしゃい!遠くて大変だったべ」
「いや、東京の実家を経由して来ましたからそれほどでもありません」
「忠明さん、お久しぶりね。鎌倉まで息子たちを送ってきてくださった時にお会いして以来ですよね」
「そうなりますかね。亡くなったおばさんのお兄さんてクリスチャンだったんでしょ?」
「そうなの、私たちは全員、幼児洗礼を受けているのよ」
「でも、あん時、お通夜の晩に棺の前で座禅している人いましたね」
「あの人が博さんのお父さんなのよ。あの人もクリスチャンなんだけど、暫く前から禅に凝りだしたらしくてね」
「んだったか?んだば、博さんより先に俺はお父さんに会っていたわけだ」
「そうなのよ…」
愈々このあたりで叔母の口から「御縁があったのね」とでもいう言葉が継いで出てくるものと私は期待した。
「あの人、私たちは、健ちゃんって呼んでるんだけどね。若い時分から一風変わった人だったわ。私が女学校の頃は勉強もみてくれたけど、気が短くてね。私が問題を解けないでいると、直ぐに、『何だ!こんなの解らないのかっ!』って怒られてね、ぶたれたこともあったわ」
「そうなんですか。博さんのお父さんとは鎌倉でご一緒に?」母親が口を挟んだ。
「健ちゃんはね、函館で暮らしていたんだけど、夏休みなんかには必ず鎌倉に遊びに来ていたんです。泳ぎも得意でね、江の島から鎌倉まで遠泳した後は必ず丸一日寝てました」
「江の島から鎌倉まで泳いだんですか?私なんか、どれ位の距離なのか全然わかりませんけど、随分あるんでしょうね」
「そうなの、何時間も泳ぐのよ。健ちゃんはスポーツマンでしたから」
遠泳の話で盛り上がってしまって話は永遠に私と康子の結婚へと繋がらないような気がした。
「おばさん、鎌倉のお兄さんって英文学者だったんですって?」忠明が話題の向きを変えてくれた。
「そうなの、親戚筋はみんな理学、工学系で、兄だけ文科系に進んじゃってね。健ちゃんも化学を専攻したし、兄としては博さんがドイツ文学者になってくれるってとっても喜んでいたわ」
「うちは、どっちをみても学者なんて家系じゃありませんし、この通り雲助みたいな商売ですからね…」母親も康子と同じような事を云っている。
「僕は学者なんてもんじゃないですけど…」やっと私の出番だ。
「でも、何といっても大学の先生ですからね、博さんは。康子なんかとはとっても釣りあいません」きっぱりと言われてしまった。
「そんなことありません。僕はまだ学者の端くれですけど…」
「それに、博さん、勤めてやっと一年でしょ」私の懐具合が心配な様子だ。
「健ちゃんもね、いろいろ特許とったりしていましてね」叔母は助け舟の積りだったのだろう。
「親父の特許は会社のものですから、親父には見返りはないようです」康子に云ったことを繰り返した。「僕はしがない大学講師でして、給料も安くて康子さんには贅沢をさせてあげることはできませんし、果たして幸福にできるかどうかも分かりません。ですけど、僕は一生、康子さんを大切に見守っていきます。これだけはお約束します。ですから、どうか康子さんと結婚させてください」
叔母が言ってくれるのを待っていたのでは埒が明きそうにもない。私は咄嗟にこんなことを口走った。
「お袋、いいんでねえか?ここまで博さんが言ってくれているんだから、結婚させてやっぺ」
叔母は心配そうに一人ひとりの顔を順繰りに見ている。
「お願いします」私は深々と頭を下げた。康子は俯いていた。
「でもね、博さん、康子のどこが気に入ったの?こんなに我儘で身勝手な娘の…」
「そんなことありません!とっても素直で、直向きで。僕は大好きです」康子は両の手で顔を覆った。
「康子、いがったな。博さんにこんなにまで言ってもらえて」康子は大きく頷いた。「お袋、あんたも康子の気持ちは聞いてるべ。俺にも云ってたぞ。二人の気持ち大切にしてやんねば…」
私は康子と一緒に仏間に行って先年他界した父親に線香を手向けた。
「お父さんは、結婚してもいいって云ってくれました」居間に戻って来た私はこう云った。母親の顔が綻んだ。
昼時となって出前の鮨が届けられて、昼食となった。矢張り3階の事務所で仕事をしていた弟の均も降りてきた。
「博さん、初めまして。均です。この間はあこちゃんがうんとお世話になったんですてね。行く前はね、それこそ泣き出しそうにしていたのにさ、帰ってきてからは毎日、浮かれてたんだよ。それにしてもよーくこんな姉をお嫁さんにしようなんて思ってくれたね」均は康子の居場所がなくなるくらいまで悪態をつき始めた。
「皆さんには見えないところが僕にはひしひしと伝わるんです」
叔母は忠明に送られて一足先に塩釜に帰って行ったが、私はそのまま居残った。9月に結婚することになっている均の婚約者の恵美子が遣って来た。均の部屋で博多で過ごした康子との時間を思い起こしながら、サウンド・オブ・サイレンスのレコードを聞きながら三人であれやこれや話し込んでいたらやがて日暮れ時となった。
「博さん、呑みさ行くべ、今、均も下りてくっから」3階の事務所から降りてきた忠明が云った。
「わたしは?」康子が怪訝な表情で忠明の顔を覗き込んだ。
「おめぇは留守番だべ。今からは男だけの世界だ」
均の仕事が片づくのを待って私たちは3人で国分町に繰り出した。活き魚料理のお店で尻尾のところがピクピクと動いている伊勢海老の刺身やら大トロの鮪などを肴に日本酒を呑み始めた。忠明から「本当に康子でいいのか?」と何度も念を押され、均からは「あとで嫌んなったからって、あこちゃんのこと送り返さねでけさえんね」と請われた。均と恵美子は康子を「あこちゃん」と呼んでいるが、その由来は杳としてはっきりしない。バーやキャバレーなどを梯子して緊張も解けて康子のもとに帰って来た頃には均はかなり泥酔していた。
「忠明はどうしたの?」母親が聞いた。
「兄ちゃんはもっと呑むって云うから置いてきたわ。どこさか行くんでねえか。ああ、ぐえぇ悪い。恵美子、布団敷いてけろ」
恵美子はまだ帰らずにいた。
「それにしても博さんはつえぇな。はっぱり酔ってねすぺ」
「いや、そんなことありません。こんなに呑んだの久しぶりです。それにあんな高級なバーやキャバレーって初めてのことですから緊張しました」
「緊張したって、かなり浮かれていたんでねぇの?お店のお姉ちゃんと!」
「変なこと言わないでくださいよ。そんなことありません。ところで、僕もかなり酔っぱらっちゃって…。塩釜に帰れるかな?」
「康子、送って行ってあげたら?」母親がそう云った。
「そうね、わたし送っていくわ。タクシーはお母さんの付けでいいでしょ」
誰の支払いになるのかは分からなかったが、ともあれ一階の車庫で待機しているタクシーに乗り込むなり、私は康子の肩に顔を傾けて寝入ってしまった。酒井の家の前で康子に起こされた。肩を担がれるようにして玄関を入ったのだが、その先は全く記憶がなかった。後から聞いたところによると、私は何度も康子の手を握りしめて中々康子を帰そうとしなかったようだ。酒井の家には二晩厄介になって東京へと舞い戻ってきた。当然、康子は仙台駅まで見送りにきてくれた。数日後に康子は私の実家に挨拶にくることになっていた。
「どうだった?」母親が心配そうにそう聞いた。
「良子叔母さんときたらさ、一緒に行ってくれたのはいいんけど、いつまでたっても肝心なことを云わないんで、俺としては困ったよ」
「肝心なことって?」
「結婚の申込みに決まってるじゃん。昔の親父のことだとかさ、そんな話ばっかりしてたんだ」
「良子さんは昔から儀式ばったことは苦手だったからな。で、俺の昔話をあっちのお母さんに披露したってわけか」
「そうなんだよ、それでね、俺の方からじかに云ったの、結婚させてくださいって」
「あちらのお母さんは何って云った?」
「こんな娘でいいんですか、だとかさ、就職したばっかりで生活できるのかって、随分いろいろ心配してたっけ」
「あっちはタクシー会社やってるからな。お前の給料じゃ心配なんだろうな」
「でもさ、4月からは九大の松浦先生の肝煎りで短大の非常勤もやるじゃん。だから金は割と入ってくるんだけどさ。ところで、俺が九州に帰る前に康子さんが家に挨拶に来たいって…」
後日、中野にたった独りで居を構えている叔母の家に私は康子を訪ねた。康子は事細かくこれまでの経緯を叔母に伝えていたのだが、母親の方からは背が低くてメガネをかけた私のすがたかたちに関する情報が行き渡っていた。叔母は見たことのない私を康子の姉の夫と重ねていたようだ。この男も背が低く、メガネを掛けている。何せこの姉と夫の折り合いはあまり芳しくなく、姉は折に触れて亭主の愚痴を触れ回っていて、叔母には姉の夫は極悪非道の男だと映じているようだ。風貌が似ているというだけで、叔母が抱いている私への印象もかなり悪いとは聞いていた。私が玄関を跨いで挨拶するなり、子供の背丈ほどの叔母はその身を一層縮めて居間に私を案内し座布団を勧めるなり、そそくさと台所に行ってしまった。程無く苺の入った器をお盆に載せて持ってきて、いきなりその器を取り上げると、たっぷりの砂糖を振りかけて牛乳を注ぎ、専用のスプーンで苺をグタグタになるまで潰してから、満面の笑みを浮かべて私の前に置いてくれた。私は叔母のお眼鏡に叶ったのだ。
翌日、康子は私の実家に来た。
「博はまだ勤めて一年になろうとしているところで、お母さんとしてもご心配でしょうね」母親が心配そうに云った。
「でも、4月からは非常勤の口もあるっていうことだし、大丈夫だろう。な、博!でも、酒の方は少し慎まなくちゃいけないかな?」
「本当に、博ときたら学生の頃から、奨学金を貰っても本を買ってしまえば後は全部お酒につぎ込んでいましたからね。結婚するんだから、あんた、少しはお金を貯めなくちゃ!」
「亡くなった父も大酒飲みでしたし、兄も弟も一晩も欠かさず飲んでいますから」
「そうなの?そんなにお好きなの?」
「そうなんです。それに母は昔からお酒の肴を造るのとお買い物だけが楽しみなんです」
「そりゃ、いいや。まず、今夜は何もないけど大いに飲みましょう。康子さんも飲めるでしょ。お母さん、酒にしよう、酒に」
「恵美ちゃんは今日はいないんですか?」
「そうなの、康子さんが来るってわかってるのに耕治さんと式場を見に行ったきりで、まだ帰ってこないの」
恵美の結婚式は5月となり、式場も決まっている。私たちの日取りは11月で、仲人は矢張り恩師の丸山にすることになった。暫くして恵美と耕治も加わり賑やかな夕餉となり、康子は翌日になって叔母のもとに帰っていった。
博多に戻った私は中川らと勉強会の後で篠栗も交えたお酒の席で11月には結婚することになった事を伝えた。
「それでですね、今度、お母さんの着物を解いて僕の為に座布団をつくってくれるって云うんです」調子に乗った私は余計な事までへらへらと喋り出した。「公団に入れることになったんで自炊できるようにって、二人用の小さいお釜も送ってくれるんです」
「惚気(のろけ)るんじゃないよ、僕たちの前で」
「まあ、まあ、中川。そう目くじらたてなさんな。多田だって嬉しくてしょうがねえんだからさ。そうだよな、松浦さん」
「そうそう、クリさんの云う通りだ。今は仕合せの絶頂期なんだからな。そうだろ、多田君」
「でもよ、相手のお袋さんの気持ちも俺は分かるよ。親としちゃ娘に幸せになって欲しいってのは当たり前だけどさ、娘の方は母親の存在を忘れちゃって、嫁ぐ日、嫁ぐ先のことばっかりしか考えていないから、そこんとこが母親からすればある種の嫉妬というか妬みを感じるんだよ。これは母親としては当たり前の感情だよ。相手のお前さんは若造だしさ、おいそれとは受け入れにくいのさ」
松浦もさかんに頷いている。
「そうだな、クリさんの言う通りだ。男親からすれば別の嫉妬めいた感情があるんだろうけど、お袋さんからすれば娘さんに対する嫉妬と思いやりが複雑に考察しちまってね、いつの間にかお前さんを憎たらしいと思うようになっちまうんだ」
「松浦先生もお嬢さんが嫁いで行くときには矢張り相手の男に嫉妬なさいますか?」
「おい、おい、中川君、俺の方に話を向けるなよ、ワッハッハ」
妹と耕治君とに想いを重ねてみるに成る程と思える節もある。耕治君が恵美を独占しようとする事に対して両親は今も感情は揺れているようだった。結婚が決まったはったとはいえ、両親からすれば娘の恵美はまだ多田家の一員だという意識が強く働いている。母親は康子が博多に来たのもワタシが無理やり呼び寄せたと感じていたようだった。私としては心外だったが、考えてみるに、見合いしただけの相手に娘を完全に託すことのできないといういという親の立場から、取り分け康子の母親の気持ちを無視ることのないようにと再三忠告してきたのだった。そして育った子供たちがそれぞれ大空に舞い上がろうとしているときに自分がどう処するべきか思いあぐねてもいた。父親は若い二人で決めたことは今後も責任をもって処していかねばならない。そうしてころ本当の幸せが得られるのだろう。心から祝福を送ると云っている。
トップページへ戻る